【哲学史 その8】アリストテレス イデア論に異議!学問の基礎作り

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前回:【哲学史 その7】ソクラテスの弟子プラトン登場 イデア論

イデア論に異議!

プラトンの考えた「イデア論」は理論としてとてもきれいに完成されていました。

理論としてもつじつまが合っておりなによりあの偉大なプラトンの考えた理論です。

哲学の学校まで立ててしまうような大先生の哲学ですから、なかなか疑いを持つ人が現れなかったのです。そこで現れたのがアリストテレスでした。

アリストテレスの主張

彼は17歳でアテネにあるプラトンが設立した学校(アカデメイア)に入り20年間そこで勉学に励みました。そして、アリストテレスはあっさりとその「イデア論」に対し反論したのです。

「てか、イデアなんてマジであんの?w嘘っぽくね?wそもそも、『善』とか『正義』とかって人間が頭の中で考えた概念に過ぎないでしょ。」

全否定でした。あまりにも当たり前で、身も蓋もない反論です。アリストテレスの反論はこうです。

例えば、

ある人が「4本足の顔の長い動物」を見てそれは馬である、と認識しているときイデア論に従うのであればその人は「馬のイデア」にアクセスして「馬」というイメージを得ているということになります。

そのプロセスをアリストテレスは否定したのです。人は同じ種類の「4本足の顔の長い動物」を何度も見てるうちに、「馬」という「抽象化した概念(カテゴリ)」頭の中に作っているだけだろうというのが彼の主張です。

確かに、生まれたばかりの赤ちゃんに同じものを突然見せたとしても「あ!これは馬や!」と思うことはありません。

何度も馬を見続けていくうちに、そのうちに頭の中に「馬」というイメージが出来上がっていくのです。

これは当たり前のようにも思えますが当時のプラトンの意見に反論することはなかなか勇気のいることでした。

さらにアリストテレスが偉かったのは単に反論するだけでなく、別の方法で真理にたどり着こうとしたことです。

アリストテレスは

「あるかどうか分からないイデアについて論じるよりも、実際に存在するものをじっくり観察して、『共通の特徴』や『共通の性質』を見つけ出して、それらをきちんとカテゴリ分けしていこう!」

と推進したのです。

プラトンとの違い

プラトンは

万人が共通して感じられる性質や印象に着目して、そう感じさせる何か(イデア)がこの世のどこかにある

と考えたの対しアリストテレスは

万人が共通して感じられる性質や印象をたくさん集めてそれを整理し知識として体系化しよう

と考えたのでした。

こうして、彼は動物や植物を観察してそれらの特徴や性質を細かく記録していきました。

「この種類の動物と、あの種類の動物は共通した性質を持っているな。では、この性質を持っている動物を『○○』と名付けて分類しよう。」

というように、様々なものを知識として体系化し始めました。また、その行為は動物や植物だけにとどまらず星(天文学)や天気(気象学)などあらゆるものを対象にしてカテゴリ分けを行っていき現在の学問の基礎を作り上げたのでした。

おまけ

アリストテレスは、アレキサンダー大王(アレキサンドロス大王)の家庭教師であった。アレキサンダー大王といえば、当時の世界を端から端まで征服してしまった、怪物級のおそるべき支配者であり、その人物の先生だったのだから、当時のアリストテレスの名声はものすごいものであった。

その結果、

「世界を征服した支配者の先生」

という背景も手伝って、

アリストテレスは、学問の世界における「巨人」として祭り上げられ彼が構築した学問体系は、後世の人々に、1000年以上にわたって、無批判に支持されることとなったのである。

そんな偉大なアリストテレスに、ひとつ問題があったとすれば、それは「弟子を育てることができなかった」ことだろう。

いや、形だけの弟子は、無数にいたのかもしれない。だが、自分の哲学を乗り越えるような真の意味での弟子を作ることはできなかった。そのおかげで、アリストテレスは祭り上げられ、その結果、

「女性は男性より劣った存在である」
「重いものの方が、軽いものより早く落ちる」
「宇宙は地球を中心に廻っている」
「脳は、血液を冷やすための器官である」

などの間違った発言までも、後世の人に絶対視され、「偉大なアリストテレス先生が言うんだから、間違いないんでしょう」と、誰も疑問を持たないまま1000年以上も信じられ続けてきたのである。

ともかくこうして、ギリシア哲学の黄金時代を築いた

ソクラテス→プラトン→アリストテレス

という哲学の師弟関係は、残念ながらここで途切れることになり哲学の世界は、混迷の時代をむかえるのだった。

次回:【哲学史 その9】ヘレニズム文化 文化の融合