【哲学史 その7】ソクラテスの弟子プラトン登場 イデア論

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ソクラテスの死後

ソクラテスの死後、彼の思想は弟子たちに受け継がれていました。ソクラテスは実のところ自分で一冊の本も書いていないのです。そのため彼がどんな人で、どんな考え方をしていたのかは弟子の著作から想像するしかないのが現状です。

では、実際ソクラテスの像はどこから来たイメージかというと彼の弟子である、「プラトン」から来たものといわています。プラトンは本当にソクラテスのことを尊敬していました。彼の著書では、ソクラテスが活躍する物語の形で書かれておりこの本に出てくるソクラテスが現在のイメージする彼の姿であることが多いです。

ソクラテスの弟子プラトン

そのプラトンはどんな人であったかというと

王の血を引く貴族の息子であり、文学、詩、演劇を嗜み将来は政治家になるつもりであった

いわゆる超エリートでした。

家柄も名門中の名門であり多才なプラトンは、何事もなければ出世街道まっしぐらだったでしょう。しかし、彼は出会ってしまうのです。

ソクラテスという風変わりな男に。

当時のソフィストたちは、街で大衆に向かって一方的に演説をしていました。

しかし、ソクラテスは待ち行く人を捕まえては、その人に向かって疑問を投げかけ対話をしながら問題に対して追求していくという明らかに他の者とは違うやり方で活動をしていました。

そんなソクラテスとの出会いは、プラトンにとって今までの世界観を覆すほど衝撃的でした。

「自分は何も分かっていなかった。

それなのに、愛だのなんだのと劇まで作ってしまって・・・」

自分が創った創作物のすべてが恥ずかしくなってしまい、彼が創った詩や演劇作品をすべて燃やしソクラテスの弟子となったのです。

しかし、その矢先ソクラテスは例の事件によって死刑を宣告されたのです。その無念さや憤りが彼を一層哲学の世界へと没頭させました。

こうして、ソクラテスの「真理の探究」という意思は、きっちりとプラトンによって受け継がれたのでした。

受け継がれる意志

そこから彼は考えに考え抜きました。

当時の世の中は「相対主義」の考え方が一般的な考え方であったため、世の中の知識人たちは

『絶対的な善や愛など存在しない!』

と述べるのでした。

しかし、それでもプラトンは考え続けました。

「自分が考えるのを止めてしまうとソクラテスがやってきたこと、ソクラテスの死が無駄になってしまう。」

そんな苦悩の末、プラトンはあることに気が付きました。

「善というものは国や社会によって違うと言っても善という言葉が持っているイメージは共通じゃないか!

では一体この善という言葉のイメージはどこからきているのだろう?」

イデア論

例えば、紙とペンを用意して三角形を書いたとします。

しかしそれは厳密には三角形といえるでしょうか?

三角形の角の部分を拡大していくと算数の定理上の角にはなっていません。

そのため、この現実の世界に『本当の三角形』は実在しないかもしれないけどだからと言って『本当の三角形』は存在しないと言い切ってしまっていいのでしょうか?

だが、私たち『本当の三角形』というものがどんなものかというの知っています。

つまり、

私たちは『本当の三角形』を見たことがないが『本当の三角形』が何なのかは知っている。

ということを、プラトンは言いたかったのです。

このように彼は、

三角形、四角形、善、愛、正義などは

・みんなが共通して思い浮かべられる何か

・実際には存在していないのにみんなが意味を理解してる何か

これを「イデア」と名付けこれらが存在していると主張したのでした。(イデア論)

こうしてプラトンは相対主義が一般的な考え方であった時代に一石を投じたのでした。その後彼は、アカデメイアという学校を作り後進の育成に努めました。彼が創った学校は900年もの間、若い世代の哲学者たちを育てていくのでした。

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