【哲学史 その6】哲学の祖 ソクラテス 無知の知

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相対主義という思想

この時代には相対主義という思想が発生しました。

この相対主義というのは

絶対的な価値観や真理はなく、すべては相対的なものでしかない

という思想でようするに「善とか悪とか時と場合によるし、人それぞれじゃね?」という考え方です。

まぁこれはこれで納得できる話なんですが、それでは身も蓋もありません。この時代にはソフィストという職業が流行っていました。

ソフィストというのは、「弁論術」など「他人を説得するための話術」を教えることを生業とするものです。

このソフィストがなぜ流行ったかというと相対主義が流行っていた時代、当時のギリシャは民主主義の国家でした。

民主主義というこは「国がどこと戦うか、どんな政策をするか」などなど、民衆によって選ばれた人が様々なことを決めるわけです。

もちろん民主主義なので多くの人が「正しい」と思うことが正しいのです。多数決により「正しさ」が決められています。

そのため、偉くなるためには「正しい」と思わせることが重要でした。それゆえ、ソフィストという口の上手い人に教えを乞うたのです。

哲学の祖ソクラテス

そこに待ったをかけたのが「ソクラテス」でした。ソクラテスのやり方はとても優秀でした。

彼は、演説をしている政治家や知識人のところへ足を運び、馬鹿で間抜けなふりをして非常に初歩的な質問をしたのでした。

「あの~すいません。あなたは今、『正しい』とおっしゃいましたが『正しい』とは何でしょうか?。」

すると相手は

「正しいとは、みなが幸せであるということだ。」

ソクラテスはさらに問います。

「幸せとは何ですか?」

このように相手に対して質問をするといつしか相手の理論にはボロが出てしまします。

そこをソクラテスは指摘して、

「答えられないのですね?ということはあなたはそれについて知らないわけだ。」

と、とどめを刺すのです。

このやり方はとても巧妙でした。なぜなら、とにかく「自分は知らない、教えてください」と言い続けて相手の意見を引き出しその矛盾をついていけばいいのですから、議論の負けるということがないのです。

その方法で、ソクラテスは演説を行っている偉い政治家の「無知」を大勢の前で暴いていきました。

ソクラテスは、この行為を通して市民に対し

「誰かの言葉を盲目的に信じるのではなくちゃんと自分で考えよう!」(本質の探究)

「自分が知らないことを知ろう!」(無知の知)

ということを伝えたかったのです。

偏屈おじさんソクラテス

そしてそんなことばっかりしてたソクラテスは若者の人気は絶大でしたが、当然恥をかかされた政治家や知識人からは嫌われていました。

その結果、ソクラテスは「若者に害悪を及ぼした罪」として裁判にかけられ「死刑」を宣告されたのです。

この時、ソクラテスは死刑執行まで1か月の猶予があり、逃げようと思えばいくらでも逃げれたと言われています。しかし、ソクラテスは逃げなかった。

自分の信念を貫き通すために、彼はこの罪を受け入れることにしたのです。もちろん、ソクラテスのもとには多くの友人や弟子たちが毎日のように逃げるように説得にきました。

それでもソクラテスは自分の信念を曲げずに最期は自ら毒を飲み、その命を絶ったのです。

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